少し時間がかかってしまったんですけど。読み終わったんで。
しかしやっぱ、本は一気に読んだ方がいいみたいです個人的には。 とまあそれはさておき。
最近のSNSの台頭っぷりだとか、ウィキリークスのことなんかを中心に据えつつ(特にウィキリークス)、
そういったインターネットなどが普及したことによって
世界のパワーってものが政府から市民へシフトされていってるぜ、って話。
んで、それのきっかけがウィキリークスなどによる「情報の透明化」ってやつなんですね。
そもそもパノプティコンっていうのは、監獄の設計案らしくて(こんなかわいらしい発音するのに意味にはまったくかわいげないなマジで)、
真ん中に看守塔がたっててそれをぐるーっと囲むように独房がある、という。
まあそれによって収容されてる囚人達を見張るってわけですが、
しかしながらタイトルは「逆パノプティコン」。
つまり看守塔にいるのは市民で、収容されとんのは政府やら大企業やら、
今まで私たちの生活を牛耳ってた人たち。
確かに、この構図がなかったら最近のアホみたいなパフォーマンス政治はないかも・・・。
昔までだったらまじパノプティコンだったろーに。 まあそれがいいか悪いかはここではさておき。
ちなみに中国とかなんかはそういったインターネットの力を恐れて
検閲したり制限かけたりすることでそれの持つ力を排除しようとしている様。こええな。
とりあえず、一言。 この本を読んでおいてよかった。
というのは、ちょっと難しい内容ではあるから100書いてあることの30わかってんのかなーと思う部分もあるのですが、
たとえば、今までウィキリークスについてわりと勘違いしてるとこばっかでしたから。思い込みっていうか。
それがちょっと解決したとかね。 他にもいろいろ。
ウィキリークスが話題になったのはなんか(アメリカの映像だったか?)の情報がリークされたからでしたっけ。
日本でも一瞬すんごい取り沙汰されましたが、新聞とかではひたすら「危険なサイト!」みたいな風に書いてた記憶があって、
少なくとも情報の透明化を促すことで、社会における不正を暴いて社会をより正義あるものにする、というミッションがあったよう。
(まあ、正直私はウィキリークスが出て来たときにあんまりこれについて積極的になってなかったので情報が入ってこなかった、というのもあるけど。)
というディテールに関してもそうだけど、
何より「ああ、そういえばそうなのかー」って思ったのは。
ネットが台頭し、政府/大企業から市民へパワーシフトしてきていることで
社会の今までの理が結構大きく変わって来てるんじゃないか、って思ったのもそうだけど、何より今
自分がその最中にいるのかって。はっとしました。
いやー、わかってはいたんですけど。
でもやっぱり日本はまだSNS(特に世界では人気のfacebook)の力とかブログの力なんてまだ微々たるものだと思いますよ。個人的に。
もっとも、「ニノと佐々木希が!!!」とか「三谷幸喜と小林聡美が!!」みたいなのの広まるスピードは尋常じゃないけど、
それこそ原発とか今政治的にも相当大変なことになってますけど、特に大きなムーブメントがないあたり見ると、まだまだなのかなーって感じ。
いや、高円寺で反原発デモ!とかいろいろあったみたいですけど、
それがツイッター内で広がってもそっからあんまり外に出て行かない感じ。
(社会的にこれから引っ張ってくぞ!て30代40代あたりの世代がそんなにやってなさそーだしってのも関係あるのかな。
(あ、この数字については私の完全なる思い込みww))その証拠に既存のメディアで特に報じられたとかなかったし。恐らく。
でもそれは各メディアの裏には東電との癒着があったからだ!こっちは報道したかったけどさあ!とか
そういうこともあるかもしれないんです。
(まあ実際そうかなーなんて。 大阪とかではむしろやり過ぎだろっつーぐらい反原発について激論かわしてましたから。。。)
でもウィキリークスはそういうわけのわからない癒着〜みたいなそういうのがない、かなりニュートラルな情報ソースとして一役買ってるようです。
あくまで情報ソース的な位置みたいですけど。
先日読んだ「この国を出よ」にもあったけど、
腐敗政府を抱えるような国の若者っていうのは積極的に町に出てってるんですね。
彼らはきっと政治家になるわけじゃなくても、
政治的問題(失業率がーとか低成長ーだの)を「自分ごと」にしとんすね。
まだね、やっぱりね、政治的無関心・・・ アパシー?が多いかな、ていう日本では
政治的問題に関してやいのやいの言う割に、ちょっとどっか他人事みたいで、腰が重いんですよね。特に若者。私らの世代。
だからfacebookとかツイッターで政治的なことに関してつぶやいても
同じような考えを持った、あるいは違う考えを持った少数の人たちが群がっちゃったりなんかして(なーんてツイッターに書いたら炎上しそうだけどw)、
無関心な人たちが関心持つ為の裾の尾広げ?がまだまだかなあ、って。
facebookに関して、
私なんかは高校の時からfacebookをやってて(アメリカに友達がいるというAちゃん(仮称)が勧めてくれて初めてました)、
最近日本でもfacebookブームだけど、
いろんな本が出てたりとかテレビで議論(それも使い方について)がなされていたりして、
・・・いや、正直そんなの必要?って感じが私はするんです。
最初は若干わからなかったけど、使っていくうちにわかるし、
教えられないと使えないツールだったらここまで広がらねえっつーの。というのが本音だったり。
勿論、私も最初はわからなかったから友達に聞いたりしましたけど。笑
それこそ聞くことで友達増えるねぽぽぽぽーんじゃないですか。
で、最近のジャーナリストとか、本当にあんた達facebook使ってる?って人たちが
それについて批判的にやいのやいの言ってたりしますけど、
それはなんというか、的外れっていったら失礼だけど、これからの時代を考えた意見じゃねえなーというか、建設的じゃねえなー、っていうか。
ウィキリークスについては大きなメリット/デメリットがあるからこれを読んでも推進!とか反対!とか言えないけど、
SNSについては推進!というか。 本にもあった通り、「この流れは止められない」。
それならいっそ情報透明化を進めて少しずつでも、衝突しながらでも
10年後、20年後にいい社会になるんであれば推進すべきじゃないかなんて思うのです。 あれ?これウィキ応援してねえ?笑
でも果たしてすべてを透明化することが良いこと、なのかどうなのか。
(現にウィキリークスはその組織自体は結構不明なこと多いようで)
果たして正義って、
いい社会ってなんだろうって考えさせられました。