今日はななんとTOEICを受けてきました。
TOEFLの次はTOEICかよw みたいな感じがしないでもないですけどまあそこは気にせず。
ちなみに両者は全然違います。やってみて思いましたが。
同じなのは問題も含め全て英語っていうところと、書き込みが出来ない、それから統括している会社が一緒ってその程度です、はい。
そのTOEICの後に姉(ピアノをやってます。)の発表会に行ってきました。
姉の演奏がこうでしたああでしたはさておき、例えばピアノならペダルの音、
サックスならばキーを塞ぐときの音なんていうのは、楽譜に書いてない音ですよ。
まあ勿論、無音っていうのは無理ですからある程度は鳴ってしまうのですが・・・
ただし、工夫次第では抑える事が可能ですし、そういうところに一度気になってしまうともうお客さんは音楽には戻って来ないんじゃないかと思うのですよ私は。
私はそうなんです。もうそっからあら探しがスタートしてしまう。はっきり言ってもったいない・・・。
やはりそういう、んー・・・ 音楽以外のところで勝負を決められたくないなら尚更、
音楽以外のところに気を配る事が不可欠になってくるんじゃないかなと。
いわれた事あるのは譜めくりとかね。こんな変なタイミングでそんなうるさく譜をめくるな!と。
ビジュアル的にも気になる。 そしてそういうところをお客さんに気づかれたらもう私の音を純粋に楽しんではくれなくなる気すら。
ソレ以外のところでたくさん考えて必死こいて練習してもそうなってしまったら・・・ その努力は報われない。
去年コンサートをやってみて思ったけど、
正直報われる事なんて全然なかったですよ。少なくともそのコンサートをやるまでは勿論面白かったし仲間もいたけど、
努力がどのぐらい報われるかとかそんなもんはステージ立って演奏してみないとわからないし、
チケットだって私は「買ってほしい」「来てほしい」だけど、
お客さん側からすれば「行きます!」もあれば「え〜 今回はいいかなあ」もある。
来てもらえたって満足させられるかなんてわかんないし。
なんだろうなあ、まだ上手くいえないんだけど。
奏者、ていう何か与えているはずの立場でもおかしくないはずなのに、「ありがとう」って言葉を(運が良ければ)受け取る、
その瞬間にのみ報われる立場にあるわけで・・・。
逆にもしですよ。 自分もお客さんも、誰も満足出来ない演奏会だったら。
(有料だった場合、)手元に嫌でも来るお金。それはなんだか鉛のようなわけですよ。お札でもさ。
じゃあ無料だったらいいのか?
そんなわけがないじゃないですか。
自分がそもそも満足いかない。(もっとも、ある意味すぐに満足できちゃったらダメだけど)
お金が残らないからって何か逃れられると思ったら大間違いです。勿論そんな人はいないと思いますけど。
うーん、ちょっとまだ上手くいえないかな。
もしかしたらこのSAXOFOCUS!!で、もしかしたら次のSAXOFOCUS!!で、この続きはお話するとしても・・・。
こういうこと考えていくことが大事なのじゃないのかななんて思うのです。
音楽を大事にしたいなら、コンサートでいろんな人に聞いてほしいと思うなら、
上手くいえないんですけれど音楽以外のところでもこだわっていくことが必要なんじゃないかな。
プロ、ていうのはどういうことなのか。
どの業種、どんなフィールドにいる人だって、常に自分の仕事に対して今のままでいいのかと問いかけ、絶えずアップデートをしていく事だったり、
お金をもらってやってる以上、プロですから。何が求められているのか、自分に何が出来るのか、自分は何をしたいのかなんていうことを問うていこうという姿勢が求められるのだと思います。
いつの間に真面目な話だったねー。笑 Kでした。
ん〜 まあ統括してるサービスもと(つか会社)は一緒なんだけど、
TOEICはどっちかっつとビジネス〜な感じで、TOEFLは大学の講義でやるようなことが問題になってたりとか、
TOEICは紙だけどTOEFLはPCでテストするんだ。あと後者には更にスピーキングとライティングが・・・w
いやーとんでもない〜。そういってもらえると救われます♪
でも全然まとまってないからまあまたそのうちね〜〜
ていうか問題文まで英語とかもはや事件だ!
私それ一生受けられないや(;∀;)
英語教えてくれ〜い!←切実w
Kちゃんの真面目な話めっちゃ好き!
書いてくれてありがとう(^0^)