何度も書いた気がしますが、私は本当に読書苦手でした。
国語の時間に先に載ってるものをこっそり見たり、授業進むのが待ちきれなくて先に読んで、なんていうのはよくあったけど、
本を読むとかそういう風になるとまた、別。
ハリーポッターとかほんっと嫌いでしたよw 今でも本は読めない気がする。故にじぇんじぇん知りません。
ハーマイオニーですか? Her マイオニー(彼女のマイオニー)みたいな?はー? ぐらいの認識でしたもん。
でも最近はすんごく猛烈に読んでる?し、疲れてても眠くても読んでしまう。
なんか読まないと落ち着かないぐらいの勢い。 むしろその時間勉強しろマジでwとは思うんだけど。
ユニクロの柳井さんが本の中でこう言ってる。(多分「ユニクロ思考術」。)
"本を読む事はその(著者の)人の人生や仕事をもう一度追体験する事である"
抜粋じゃないんですけど、しかしながらこのように言っている。
この言葉に出会う前からそのように潜在的に思ってた。けど、それが初めて言語化されて、何かが整理された感じがした。
何か物事を体得する時、まずは意識する事からはじめ、それを反復することで無意識に出来るようにする。
つまりこの時の流れは
意識→ 無意識
だ。ね。
例えばリコーダーの指使いや、私の身近なところでいくと当然サックスの指使いであったり、アンブシュア、構え方だって最初はこうやってあーやって、と意識することから始まり、
今はすっかり無意識にそれが出来るようになってる。のです。
しかしながらこれを人に教えようとする、伝えようとすると、今度は逆に
その無意識でやってる事を意識し直して、それを言葉にしなくてはいけない。
この時はさっきと逆。
無意識→ 意識
そりゃー言葉にせずに行動する事のみで教えられる事だってあります。
たとえば赤ちゃんに「歩くときはここの筋肉をこう使ってここにつかまって」とか言ったって
赤ちゃんにはその言語を理解出来るだけの力はないし、っていうかそんなもんほっとけやかましゃー!という感じもする(笑)。
あれは親とか他のにんげんが立ってるのを見て、真似る事によって覚えていくんじゃないかな。
恐らく熊とか犬とかと育ってたりすると二足歩行する習慣なんて染み付かないんじゃないかしら。
ま、さすがにその時赤ちゃんの脳では!というのは知りません。そんなドキュメンタリーを知りたい人はそういう脳科学とかの道に進むといいんじゃないかな。笑
正直なところ、何でもかんでも言葉にできればいいのかな?とは思っていた。
なんというか、自分の感覚で体得することのみが本物であり、そしてそれを人に教えるときも言葉ではなくそいつ自身の感覚(のみ)で体得すべき
みたいな流れがどっかにあるんじゃないかと。
それこそ「親の背中を見て育つ」じゃないですけど。
しかしさっき挙げた著書の中で更にこうも書いてあった。
"仕事も人生も体験したその人だけのものと考えている人もいるかもしれないけれど、そうではなく、自分の知らなかった事や体験出来なかった事をそれを読む事により発見出来るかもしれない"。
(またまた抜粋ではないのをご容赦いただきたい。)
そう。言語化することで、その人本人ですら知らなかった感覚を呼び起こさせられるかもしれない。
意識が結局のところ無意識化する為に必要なプロセスであり、無意識を教え込む為には意識が必要で、
その意識する事に一番大事なのが言語化することなんじゃないかと最近感じています。
とある本で、
左脳は数字等論理的なものを処理し
右脳は視覚イメージを処理をし、主に集中状態になるのに適してるのは右脳である、ということを知った。
脳には視覚化されたイメージ(まあイメトレで得たイメージってとこかしら)を現実にしようとする働きがあり、
その「イメージ」を助けるのはやはり言葉。
言葉によってイメージの導火線に火をつけるのです。
結局、何が言いたいかって。
普段私は曲をモノにする時だとか、フラジオのツボを理解する時、頭や体のどっかで何かセンサーみたいなものが働いてるのはわかるんですが、
それをイマイチ言葉にできない。
なので、例えば
どういうプロセスで、どういう風にして曲をさらってモノにしているのか、というのを曲を読み始めるごとに手探りしていて、はっきりいって効率がめちゃくちゃ悪い。
故に、気分にムラがある、みたいな感じで曲の仕上げスピードもめちゃくちゃ違う。
フラジオにしても、このへん、とか思ってても当たらないし(ま、リードとかの問題もあるんだけどね)、
もし人に教えようなんて事になったら絶対に教えられない。 なんでって言葉で伝えられないから。
もっとも、自分ですらわかってないのでそこのへんはそりゃあね〜というところはある。笑
リペアとかでも、リペアをやってもらった事で何がどう変わったのかとか
それによってどういう効果が得られたのかとか、それが理想の状態ならばそれがどういう状態なのか。
「良くなった」という記憶のタグはつけるけど、言語化してないもんだから次リペア行くときにどういう風にして欲しいのかという注文が付けられない。
練習しているときも、どうしても最近は私自身リードばかりに目が向いてしまうのですが(それもマイナスな事ばっかね。まじV社どんな仕事してるわけ?ぐらいの。。)、
それにしたって何がどう嫌なのか、そして楽器の機能に関しても、どこかの箇所にストレスを感じてるならばどこが何がどうストレスなのかとか
そう言う事を認識していた方が、後々円滑に物事がすすめられると思う。
嫌だなあ、気持ち悪いなあ、なんだかなあ、だけでは解決しない。
何がどうなればすっきりするのかなあとか、そういう解決の糸口になりそうなところに気がついて(意識して)、どうにかすべきだと思う。
その無意識な感覚を言葉に出来たときに、初めて何かが外に伝わる。
教えるときもそりゃあ大事です。 他の人に何かを伝える時なんて本当に大事です。
音楽というただでさえ言葉で伝わらない事伝えようとする事をやってるんだからこそ、
言葉で伝えられる事は言葉で伝えてみたいものですし、
何よりまだクラシック音楽家って言葉で言える事を言えてなくて、イメージのみがそれぞれの中で一人歩きしてる感じがするんですよね。
私自身、音楽家っていうものがどういうものなのかイマイチわからない。
自分が社会に出る前にもっとボキャブラリーだとか、伝える力をつけたいなと思う今日この頃でした。
読んでくれたはいそこのあなた! ありがとうございます〜。長かったでしょーダルかったでしょー。
私の事をちゃんとご存じない方、普段こんな事ばっかり考えてるわけじゃないので、その辺勘違いしちゃいけませんよ★ はい、Kでした。